大江高山神楽社中 〈おおえたかやまかぐらしゃちゅう〉
石見神楽は島根県西部に受け継がれる伝統芸能です。勇壮な舞と、軽快な奏楽、豪華な衣裳が特徴で、地元では老人から子供まで大人気です。
大江高山神楽社中は、戦後間もない昭和23年、邑智郡川本町の三谷神楽団から石見六調子神楽の教えを受けた、地元大代町の山邊八代姫命神社(やまべやしろひめのみことじんじゃ)の氏子有志により神楽団を結成。
昭和29年、浜田市の細川衣装店にて衣装一式を作った際、初代店主から「大江高山神楽社中」の名前を付けていただきました。その後、過疎化により、団員の減少時期もありましたが、地元の子供たちへの指導にあたるなど、その継承に努めています。
現在、浜田市に古くから伝わる石見八調子神楽・長浜神楽社中のご指導をいただき、これまでの伝承も継承しつつ、石見神楽の源流を追及すべく、日々、研鑽に努めています。
小笠原流田植え囃子 〈おがさわらりゅうたうえばやし〉
約500年前から伝わる大田市指定無形民俗文化財。毎年7月17日、石清水八幡宮へ奉納し、その後町をねり歩きます。
当町に伝わる田植え囃子は、「小笠原流田植囃子(おがさわらりゅうたうえばやし)」と言い、戦国時代にこの地方を治めていた小笠原氏が、それまで各地各様であった田植え囃子を集大成し、一つの型にまとめあげたのがその起こりと云われています。
大代地方は、昔からこの田植え囃子が盛んなところであり、昭和36年、「小笠原流大代田植囃子保存会」を結成し、今日に至っています。
一方で過疎化が進行するに伴い、後継者が減少していくため、これを絶やすまいと、昭和42年、地元大代中学校の生徒による「田植囃子愛護少年団」を誕生させ、今日まで保存会がその育成・指導を行い、継承に努めています。
この「小笠原流大代田植囃子」は、昭和43年、大田市の無形民族文化財として指定されています。